松阪工業高校・松阪北高校・三重工業學校私設校外集會室

四代目桂文我


○四代目桂文我こと大東幸治さんは化學七十六回(昭和五十四年卒業)の同窓生で、正統の上方落語を研鑽して活躍しておいでます。ここでは管理人のもとへ屆いた上演案内を御紹介します。
  桂文我に關する餘所のページは「桂文我關聯網上頁への引き紐」に集めてあります。
○主な公演會の予定について、御本人から「大阪笑芸倶楽部」と「東京笑芸倶楽部」改め「文我らいぶ」の情報も參考にして欲しいとの御意向が傳へられました。(平成十四年十一月五日)
  次の網上頁も御参考に。「桂文我の會」、「おやこ寄席」。
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○平成十九年七月七日、國立劇場演藝場の「桂文我 極彩色高座賑 其の二」を觀た。浪曲の東家浦太郎が體調を崩したので、代りに澤孝子が『徂徠豆腐』を演じた。中入り後の春野恵子の浪曲『お菊と播磨』は、聲が純粋すぎて、味が淺く感じた。桂文我の『後家殺し』も『月宮殿星の都』も期待を裏切らない出來。幼い頃から祖母の浪曲好きで、毎朝、浪曲を聴きながら目覺めたといふ桂文我の話も、面白いものであつた。
○平成十九年二月二十三日、文我さんからの話で、今年六月から、國立演藝場での寄席が毎月、行はれ、代りに、これまでの、紀伊國屋と博品館での寄席は無くなるとのこと。八重洲座形式のものは、青山でも行ふとのこと。詳しい事は、判り次第、このページでも御紹介します。
○平成十八年十二月二十八日、木曜日、東京地方での今年最後の文我寄席が「お江戸日本橋亭」にて、連續三部構成で行はれた。第一部は「年忘れ新内と落語の會」で、新内枝幸太夫と文我の會、第二部は「東西たっぷり落語會」で、桂宗助、柳亭市馬、桂平治、桂文我の落語と對談、第三部は、飲み物付きで「お座敷遊びで忘年會」で、新内枝幸太夫、幇間の悠玄亭玉八、桂宗助の滑稽舞踊など。自分は第一部のみを觀た。文我の落語は「けんげしゃ茶屋」と「猿回し」で、新内は「明烏泡雪の雪責め」と「應擧の幽霊」で、兩者いづれも、聽き應へのある作品。二人の對談は、樂屋裏のうち明け話しなど。枝幸太夫の前職がヤマハのピアノ調律師であつたことなど、興味深い。觀客は、暮れの忙しい日の、忙しい時間帯で、前の座布團席に空きが目立つた。前座の「まん我」も可成り聞き易くなつた。
○平成十八年十一月二十六日、日曜日、東京銀座博品館劇場での「第六囘桂文我獨演會」は、ほぼ滿員の盛況だつた。文我の口入屋と質屋芝居は、期待を裏切らない賑やかで樂しい演技を堪能した。三味線漫談の玉川スミは、身の上話から始まり、都々逸の話から明治一代女を、東京の山手線を東京驛から神田驛まで一周してからお茶の水から信濃町までの総武線の驛の名を全て順序通りに織り込んで見せた。文我からは、古本屋で入手した資料の中から玉川スミの若い頃の手帳を發見して、本人に見せに行つた話が披露された。
○平成十八年六月九日、金曜日、お江戸日本橋亭での「東西たつぷり落語會」を聽いた。いづれも演技力のある演者で、充分堪能できる會であつた。とりわけ、文我の話の間のとりかた、菊之丞の表情の變化、平治の酒酔ひの進み具合の表現などは、見堪へ、聽き堪へがあつた。
○平成十八年五月三十日、火曜日、新宿紀伊國屋ホールでの「第五回文我ええもんの會」を聽いた。會場は八割乃至九割の入りで盛況。まん我、志らくが、話の途中でとちる場面があり、文我までも、少しひかかる所があつたが、さすが、氣にならない程度ですり抜けた。まん我の前座は、家財があるつもりの、貧乏長屋に盗みに這入つた泥棒が、盗んだつもりを演じるといふもの。文我の「地獄八景亡者戯」は、最近の話題を取り込んだ、新作風の内容。「妲妃のお百」は、怪談仕立ての噺で、最後は暗闇になり、舞臺の端に幽霊姿をだすといふ、新しい趣向を試みたもの。
○平成十八年二月二十五日の「桂文我の世界」は、後段を聽いた。ほぼ滿席の盛況。山本進氏の三遊亭圓生との係はりの話、篠山紀信との係はりなど、興味深い話。文我の語りは、三題噺からの『大佛餅』で、後で、その演出の苦心話など。會場の壁には、圓生關聯の資料が展示されてゐた。
○平成十八年二月十七日の東京、國立演藝場での文我、梅團治二人會は、ほぼ九割の入りの盛況であつた。文我は「花筏」と、「崇徳院」、梅團治は「八五郎坊主」と「お玉牛」。二人の座談で、修行中の失敗談などを披露。米朝が失敗を、そのまま認めて、藝にした話しなど、興味深く聴けた。
○平成十七年十二月二十三日の銀座博品館での文我獨演會は、滿員の盛況だつた。文我の「質屋藏」に續き、立川談志は、バレ冗句をいくつか並べてから「短命」を演じたが、談志の知名度の割には輕い演題と言へる。中入り後の文我の演題は「胴亂の幸助」で、期待を裏切らない、藝を見せてくれた。文我の「質屋藏」、「胴亂の幸助」と並べて、談志の「短命」では、演題で見劣りがするので、案内状や予告には「お樂しみ」として、文我の「質屋藏」のみを書いたのかと推測できる。前座はまんがの「いかきや」。
○平成十七年九月十日の、お江戸日本橋亭での「「解けやらぬ下關水」一氣上演の會」は、百名近い客の入りで、ほぼ満席の盛況であつた。作品としては、少し強引な筋であるが、再び聽く機會が無いかもしれない、貴重な會であつた。最後には、「桂春團治のレコード煎餅」なる物を見せてくれた。「幻のレコード煎餅」の存在の事實確認と、現物發見の話なども興味深く聽いた。さびたブリキ缶の中の煎餅は、すでに炭化して、板炭の破片となり、竹の針らしいものが、こびりついてゐる。
  何はともあれ、「珍しいものを聽いて、妙ちくりんな物を見た」との、珍奇な寄席であつた。しかし、寄席は、座布團に坐り、聽くのが一番よい。お江戸日本橋亭は、前半分が、座布團で、後ろが椅子席。(平成十七年九月十二日、記。)

桂文我著『落語通入門』平成十八年十月、刊行
税抜き定價  七百圓
發行  株式會社集英社
  落語の誕生から昭和までの歩みを判りやすく、かつ嚴密に紹介してゐる。東京上野の下谷神社の「寄席發祥の地」の石碑に就いての記述は、「記念碑建立の既成事實を黙認した典型例」だとして、やんわりと批判してゐるなど、嚴密ながらも、穏當な記述を心がけてゐる。

四代目桂文我著『復活珍品上方落語選集』、『續復活珍品上方落語選集』および『續々復活珍品上方落語選集』刊行
税抜き定價  いづれも四千圓
發行  大阪・燃焼社 (電話番號 06-6771-9223、郵便振替 00940-4-67664)
  近年上演されることの絶えてなかつた上方落語から珍しいものを選んで紹介。最後に、文我の創作落語『伊勢松阪扇屋怪談』あり。
  『續復活珍品上方落語選集』の内容・占い八百屋、南海道牛かけ、しらみ茶屋、紺田屋、田舎芝居、關津富、蛸坊主、稲川、出齒吉、井戸の茶碗、ほうじの茶、箒屋娘、應擧の幽霊、小間物屋小四郎、下女の出かはり、シールス來朝、死ぬなら今
  『續々復活珍品上方落語選集』の内容・吉野狐、おたおたの太助、左甚五郎猫餅、うんつく酒、湯文字譽め、貝野村、淨瑠璃乞食、盆歌、五人裁き、走り餅、綱七、自雷也、鍬盗人、解けやらぬ下關水


集會室玄關
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私設校外集會室の玄關


このページの最近の履歴
○平成二十五年五月十日、經過行事予告を削除。
○平成二十四年四月十七日、「桂文我獨演會・枝雀まるわかり」および、「はなしの世界・桂小金治出演映畫を觀る會」の案内を掲載。
○平成二十三年十二月九日、經過行事予告を削除。
○平成二十三年七月十八日、經過行事予告を削除して、「國立劇場演藝場 おやこ寄席」、「國立劇場演藝場 極彩色高座賑」、および「東西南北上方落語 旅ネタ大集合」の案内を掲載。
○平成二十三年七月七日、經過行事予告を削除。
○平成二十三年五月五日、「東西二人會」、「文我宗助二人會」、および「紀尾井小ホールでの三つの會」の案内を掲載。
○平成二十三年三月十七日、經過行事予告を削除。
○平成二十三年正月七日、經過行事予告を削除。
○平成貳拾貳年十一月二十二日、「國立劇場演藝場 第十四囘 桂文我 桂梅團治 二人會」、および「内幸町ホール 桂文我 林家正雀 東西二人會 忠臣蔵の巻」の案内を掲載。
○平成貳拾貳年十月十五日、「極彩色高座賑 第四幕 其の四」、「チェーホフの御座舞(おざぶ)・語り・桂文我」の案内を掲載し、經過行事予告を削除。

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